Stories Vol.1|隠れ谷 60歳、300万円で始めたミュージックバー──“定年”の先に見つけた音楽の居場所 前編
会社員としてのキャリアを終えた60歳、音楽への想いを形にした店主さん。
「世界旅行に行ったと思ってほしい」──そんな言葉から始まった、第二の人生
神戸・三宮のオープンマイクバー「隠れ谷」オーナーの清水さんご夫妻に開業に至る経緯から今までの道のりをインタビューしました。
──よろしくお願いします。noteの「60歳からの飲食業開業記録」を拝見させていただいて、大変感銘を受けました。今日は何かnoteにはなかった思いやエピソードも引き出せたら嬉しいと思います。定年後の人生にはいろんな選択肢がありますよね。どうしてお店を始めようと思われたんですか?
オーナー:
いや、それがね、もう40歳ぐらいのときから考えていたんです。
「老後」っていうのはちょっと変ですけど、社会人を終えたら次は何かしないとあかんやろなと。
当時、早期退職の話題なんかも出ててね。ダイヤモンドの記事で読んだりして、「いつか自分もそうなるかも」って。
で、60歳になったらどうするかをぼんやり考えたとき、頭に浮かんだのはもう“音楽”しかなかったんですよ。
「音楽しかなかった」40代からの準備
──40代の頃から“音楽”一本に決めてたんですね。
お店の形もその頃からイメージが?
オーナー:
いや、最初はそこまで具体的ではなかったですね。
でも45歳から東京に単身赴任して、10年間向こうにいたんですよ。
その間に浜松町の「隠れ家」っていうお店に出会って。そこがね、飲み屋なんだけど来た人が順番に演奏していくスタイルで。
ステージがあって、客が主役。あれが面白くてね。
そこから「定年したらあんな店をやろう」って決めたんです。
「隠れ谷」という名前のルーツ
──店名もどこか似てますね。由来は?
オーナー:
実は“隠れ谷”っていうのは、昔、作ったログハウスの場所の名前なんです。

京都の京北塔町に“陰谷(いんだに)”っていう地名があって、そこに友達家族とログハウスを作ったんですよ。
本体のほうは業者さんにお願いしたんですけどね(笑)
「将来ここに住んでもいいな」って思ってたんだけど、まあ不便すぎて(笑)。
それで、この店を“第二の隠れ谷”にしようと思ったんです。
奥さまの目に映った「夢」と「慎重さ」
──その頃、奥さまはどんなお気持ちでしたか?

奥さま:
うーん、最初はね、夢は大きいけど現実的にどうかなって(笑)。
でも、自分のことにはお金をあまり使わずに、子どもたちにも私にも、やりたいことは全部やらせてもらってきたので、
「じゃあ今度はあなたの番ね」と。応援しました。
家族会議もしましたよ。みんな「やってみたらええんちゃう」って。
三宮でやる意味を考えたら、“地元向け”じゃなかった
──立地は神戸・三宮。例えば新開地にも音楽バーが多いですが、どうしてこちらを?
オーナー:
新開地はね、もう9軒くらいあるんですよ、同じようなスタイルの店が。いい店が多いけど、やっぱり“安い”んです。
チャージなしで、ビール1杯飲んで次の店に行ける。はしご文化ですよね。
でも三宮は違って地元密着で勝負しても難しいんです。
だから発想を変えて、旅行や出張で神戸に来た人が「音楽を楽しめる店」にしました。
全国から来る人をターゲットに、ネットで発信したんです。
“ミニライブの満足感” 隠れ谷の3曲ルール
──“3曲ずつ演奏”というルールが印象的です。
オーナー:
上限が決まってるんですよ。
15席くらいの店で、1日に演奏できるのは12〜13組が限界。
それで「じゃあ曲数を減らせばいいんちゃうか」と思ったんです。
20人来ても2曲ずつなら回るだろうと。
──でも違ったんですね。
オーナー:
あかんのですよ(笑)。
お客さんに聞いたら「2曲になったの?」って残念そうに言われる。
3曲っていうのは、“ライブをやった感”があるんですよ。
1曲目で自己紹介して、MCを2回入れて、
最後に挑戦曲をやる──自分でライブを組み立てられる。
それが2曲では味わえない。
だから最低でも3曲、15分は差し上げるようにしています。
それをやりきって帰ることで「今日は自分のライブをやった」という満足感が残る。
結果的に1日にできるのは13〜14組が限界なんです。
──経営的には厳しい数字ですよね。
オーナー:
そう。計算すればすぐ分かるんです。
このキャパ、この業態でどれくらいの売上になるか。
子どもを大学に行かせながらこれで食べていくのは無理(笑)。
でも、定年退職後だからこそ、こうやって“好きなことを好きなペースでできる”んですよ。
──ほんとにリアルですね……どこまで載せていいのか迷うくらい(笑)。




